いよいよケベックへ
2010年 08月 22日
8月18日 水曜日
午前10時にケベックに向けて車で出発して3時間で、今夜の宿泊先に着いた。
ケベックから更に20分ほど北に行ったところ。
私は道中、PCを広げて 韓国ドラマの続きを見ること2時間、ピエールは運転お疲れ様です。
ここは Ste. Anne de Beaupre という川沿いの町。
ここにBed & Breakfastを2日間予約した。
30部屋もあるB&Bなのでその良さはあまり期待してない。
予約が遅れたので ケベック市内にB&Bの予約ができなかたのが残念。
でも この町も滝が沢山あり、冬はスキーが出来る。
他に奇跡が沢山起きて有名な大きな教会も建てられた。
お部屋はブルーとレンガ色が基調の居心地の良いお部屋を選ばせてもらった。
お部屋でピエールが仕事のEメールをしているうちに もう3時が過ぎてしまった。
早く 街に出かけたいなあ・・・
今回、ケベックで一ヶ所 行きたい場所がある。
それは 聖ウルスラ修道院と学校。
私の仙台の母校の本校がこのカナダのケベックにある。
ここのフランス系カナダ人jのシスターたちが昔 仙台と青森の八戸に 修道院と学校を設立した。
私はカトリックで生まれ育ち その学校に小学校から高校までの12年間 ここに通わされた。私の兄弟の男子は小学校まで男女共学で通い、女子はそのまま高校まで通わされた。
小学校から英語の授業があったが、フランス系カナダ人のシスターがフランス語風の英語を教えるから Rの発音を巻き舌でしごかれたのを思い出す。かといってRの巻き舌は得意ではないけれど。
昔は制服などなく自由な校風だったらしいが、時代が変わって私が通っていた頃は制服が出来て、高校では制帽はフレンチスタイルなのかベレー帽だったが、これが大嫌いだった。
今思えば フレンチ風で素敵なはずなのに なぜか我々日本人がかぶっても似合わないのか?、上手に着こなせなくて 変だったのかもしれない。
今になって ピンクのベレー帽を探して、かぶってみたいと思う。
ここケベックはフランス色が濃いそうだから、そうだ、もしかして このケベックにならピンク色もあるかも・・・
と、そんなわけで このケベックでは私の母校の本校を訪ねることに・・・
ケベック市内に行く前に オンラインで調べてみたら 街の中心に 聖ウルスラ修道会のチャペル、修道院、学校、更にミュージアムまであるらしい。ケベックではかなりの歴史があるらしい、ワクワクしてきた。
高校生の頃から シスターにケベックの話を聞いては いつかそこに行ってみたい・・・と想像を膨らましていた。
その場所にやっとたどり着こうとしていた。
5時にミュージアムが閉まるとオンラインの案内に書いてあったので急いだ。
着いたのが4時45分、でも残念なことにミュージアムは来年の春まで閉まっていた・・・ショック。
更にチャペルは4時半に閉まっていた。
しかし5時からのミサに参加する人たちが 修道院側からの入り口から入っていくのを見つけ、混じって入っていった。
シスターたちを始め、一般の信者が毎晩5時のミサに参列していた。
他よりは小さいが装飾は素晴らしい落ち着いたチャペル。
観光で入ったわけでないので こっそりフラッシュなしで1枚の写真を撮る。
まもなく神父様が入場しミサが始まった。
聖書の第一朗読がはじまると出にくくなるので 始まる前にそ~っとチャペルを出た。
明日、また見に来ればいい・・・
出ようとした修道院の玄関口で 年老いたシスターに出会った。
チャンスとばかり、英語は話せますか?と聞いたら 「ウイ」というので 私が日本のウルスラ会の学校に行っていたこと、そして やっと憧れのケベックとこの聖ウルスラ会の本部に来れた喜びを伝えた。
そしたらシスターが、「オー、それなら シスター クレマンスを知っているか?」と聞かれた。「はい、 知っています。」「彼女が今、ここに来ているよ」「え~~本当~?」と私、シスターが「彼女はこの5時のミサに出ていて この後夕食があり、6時過ぎには会えると思うから 戻っていらっしゃい」と・・・
じゃ~ん! シスター クレマンスがどうしてここにいるの?
偶然とはいえ、知っている名前がでてきて驚いた。とにかく1時間後に戻ってくることに。
私たち家族は クレマンス様と呼んでいた。
ウェブサイトで調べると彼女は1957年ごろから53年間 日本で学校経営に携わって奉仕している。そしてカトリックの歴史が長い私の家族も勿論長いお付き合い。
仙台に里帰りすると両親と教会に行くわけだが、そこでクレマンス様に会ったり、10年も前に同窓会で会ったり、と卒業後もたびたび会う機会があった。
父もこの学校で本業の傍らに「保健と性教育」を35年も教えていたのでクレマンス様には何かと縁がある。
そのクレマンス様にここで会えるとは何という巡り合わせ・・・
暗くなる前に出来る限りの有名どころの観光を・・・
このウルスラ会の修道院は街の度真ん中にあったので観光と食べることには便利な場所だった。
なんと、「ウルスラ」と名の付く通りまである。それも 二つも・・・
この写真はこの修道院とチャペルが建っている通りからの眺め
表通りに出る
お城かと思ったら 有名なホテル
あまりにも大きくて見事で圧倒される。ホテルなら中に入れるということでロビーとお店見学。
6時過ぎに修道院に戻ってきて クレマンス様と面会することが出来た。
ピエールのことはお友達ということで紹介。
相変わらずいつもバイタリティー溢れる姿は変わらず 聞いてみたら78歳だという。
それでも 時にはこうして 日本とカナダを往復している。
来週には日本に戻るという、ということはまだリタイヤしてない、ということ。
そしていずれはケベックに戻ってリタイヤするらしいとのこと。
1時間ちょっとの面会で 沢山のことを話して ピエールもシスターとフランス語でカナダの政治経済の論議に花が咲いていた。
最後に歴史ある修道院の中を少し案内してくれた。
外はもう夕暮れ、ピエールのひざのことがあるので あまりぶらぶらもできないので夕食のためのレストランを探しに歩く。
お店、教会、広場、噴水があちこちにあって歴史とロマンティックさを感じさせるこの街は 歩くだけでも飽きない・・・
どこもかしこも写真に収めたくなる光景だ。
私に付き合ってくれたピエールに感謝して 今日はピエールのお好みでレストランを選んでイタリアンへ
名前は忘れたが ホースくらい太いパスタに肉が詰まっている
明日は丸一日 オールド ケベック市内を見学する。
午前10時にケベックに向けて車で出発して3時間で、今夜の宿泊先に着いた。
ケベックから更に20分ほど北に行ったところ。
私は道中、PCを広げて 韓国ドラマの続きを見ること2時間、ピエールは運転お疲れ様です。
ここは Ste. Anne de Beaupre という川沿いの町。
ここにBed & Breakfastを2日間予約した。
30部屋もあるB&Bなのでその良さはあまり期待してない。
予約が遅れたので ケベック市内にB&Bの予約ができなかたのが残念。
でも この町も滝が沢山あり、冬はスキーが出来る。
他に奇跡が沢山起きて有名な大きな教会も建てられた。
お部屋はブルーとレンガ色が基調の居心地の良いお部屋を選ばせてもらった。
お部屋でピエールが仕事のEメールをしているうちに もう3時が過ぎてしまった。
早く 街に出かけたいなあ・・・
今回、ケベックで一ヶ所 行きたい場所がある。
それは 聖ウルスラ修道院と学校。
私の仙台の母校の本校がこのカナダのケベックにある。
ここのフランス系カナダ人jのシスターたちが昔 仙台と青森の八戸に 修道院と学校を設立した。
私はカトリックで生まれ育ち その学校に小学校から高校までの12年間 ここに通わされた。私の兄弟の男子は小学校まで男女共学で通い、女子はそのまま高校まで通わされた。
小学校から英語の授業があったが、フランス系カナダ人のシスターがフランス語風の英語を教えるから Rの発音を巻き舌でしごかれたのを思い出す。かといってRの巻き舌は得意ではないけれど。
昔は制服などなく自由な校風だったらしいが、時代が変わって私が通っていた頃は制服が出来て、高校では制帽はフレンチスタイルなのかベレー帽だったが、これが大嫌いだった。
今思えば フレンチ風で素敵なはずなのに なぜか我々日本人がかぶっても似合わないのか?、上手に着こなせなくて 変だったのかもしれない。
今になって ピンクのベレー帽を探して、かぶってみたいと思う。
ここケベックはフランス色が濃いそうだから、そうだ、もしかして このケベックにならピンク色もあるかも・・・
と、そんなわけで このケベックでは私の母校の本校を訪ねることに・・・
ケベック市内に行く前に オンラインで調べてみたら 街の中心に 聖ウルスラ修道会のチャペル、修道院、学校、更にミュージアムまであるらしい。ケベックではかなりの歴史があるらしい、ワクワクしてきた。
高校生の頃から シスターにケベックの話を聞いては いつかそこに行ってみたい・・・と想像を膨らましていた。
その場所にやっとたどり着こうとしていた。
5時にミュージアムが閉まるとオンラインの案内に書いてあったので急いだ。
着いたのが4時45分、でも残念なことにミュージアムは来年の春まで閉まっていた・・・ショック。
更にチャペルは4時半に閉まっていた。
しかし5時からのミサに参加する人たちが 修道院側からの入り口から入っていくのを見つけ、混じって入っていった。
シスターたちを始め、一般の信者が毎晩5時のミサに参列していた。
他よりは小さいが装飾は素晴らしい落ち着いたチャペル。
観光で入ったわけでないので こっそりフラッシュなしで1枚の写真を撮る。
まもなく神父様が入場しミサが始まった。
聖書の第一朗読がはじまると出にくくなるので 始まる前にそ~っとチャペルを出た。
明日、また見に来ればいい・・・
出ようとした修道院の玄関口で 年老いたシスターに出会った。
チャンスとばかり、英語は話せますか?と聞いたら 「ウイ」というので 私が日本のウルスラ会の学校に行っていたこと、そして やっと憧れのケベックとこの聖ウルスラ会の本部に来れた喜びを伝えた。
そしたらシスターが、「オー、それなら シスター クレマンスを知っているか?」と聞かれた。「はい、 知っています。」「彼女が今、ここに来ているよ」「え~~本当~?」と私、シスターが「彼女はこの5時のミサに出ていて この後夕食があり、6時過ぎには会えると思うから 戻っていらっしゃい」と・・・
じゃ~ん! シスター クレマンスがどうしてここにいるの?
偶然とはいえ、知っている名前がでてきて驚いた。とにかく1時間後に戻ってくることに。
私たち家族は クレマンス様と呼んでいた。
ウェブサイトで調べると彼女は1957年ごろから53年間 日本で学校経営に携わって奉仕している。そしてカトリックの歴史が長い私の家族も勿論長いお付き合い。
仙台に里帰りすると両親と教会に行くわけだが、そこでクレマンス様に会ったり、10年も前に同窓会で会ったり、と卒業後もたびたび会う機会があった。
父もこの学校で本業の傍らに「保健と性教育」を35年も教えていたのでクレマンス様には何かと縁がある。
そのクレマンス様にここで会えるとは何という巡り合わせ・・・
暗くなる前に出来る限りの有名どころの観光を・・・
このウルスラ会の修道院は街の度真ん中にあったので観光と食べることには便利な場所だった。
なんと、「ウルスラ」と名の付く通りまである。それも 二つも・・・
この写真はこの修道院とチャペルが建っている通りからの眺め
表通りに出る
お城かと思ったら 有名なホテル
あまりにも大きくて見事で圧倒される。ホテルなら中に入れるということでロビーとお店見学。
6時過ぎに修道院に戻ってきて クレマンス様と面会することが出来た。
ピエールのことはお友達ということで紹介。
相変わらずいつもバイタリティー溢れる姿は変わらず 聞いてみたら78歳だという。
それでも 時にはこうして 日本とカナダを往復している。
来週には日本に戻るという、ということはまだリタイヤしてない、ということ。
そしていずれはケベックに戻ってリタイヤするらしいとのこと。
1時間ちょっとの面会で 沢山のことを話して ピエールもシスターとフランス語でカナダの政治経済の論議に花が咲いていた。
最後に歴史ある修道院の中を少し案内してくれた。
外はもう夕暮れ、ピエールのひざのことがあるので あまりぶらぶらもできないので夕食のためのレストランを探しに歩く。
お店、教会、広場、噴水があちこちにあって歴史とロマンティックさを感じさせるこの街は 歩くだけでも飽きない・・・
どこもかしこも写真に収めたくなる光景だ。
私に付き合ってくれたピエールに感謝して 今日はピエールのお好みでレストランを選んでイタリアンへ
名前は忘れたが ホースくらい太いパスタに肉が詰まっている
明日は丸一日 オールド ケベック市内を見学する。
by setsukomatsumoto3
| 2010-08-22 03:40
| 海外旅行(アメリカ以外)